黒柴つくし~心の眼~

見えなくても、こころで感じて見える日々

† 犬の十戒 † The Ten Commandments of Dog Ownership

My life is likely to last ten to fifteen years. Any separation from you will be painful for me. Remember that before you buy me. 私の一生は10~15年くらいしかありません ほんのわずかな時間でも貴方と離れていることは辛いのです 私のことを買う(飼う)前にどうかそのことを考えて下さい。

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Posted by つくママ on

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今年を振り返って・・・

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年の瀬になり、あと数日余りで新しい年を迎えます・・・

早いもので、ブログにつくしが患う緑内障の闘病を綴るようになり、2年の月日が過ぎました・・・

当初・・・既に左目は義眼、残る一方の右目も急性期が続き視力は既に失く、辛うじて温存出来ている状態でした。
この残る右目に、あとどれだけの時間が残されているのだろうか・・・と、
家族と共に病魔と闘うつくしの頑張る姿を、何かに残したいと逼迫した思いで始めたこのブログでした。 

緑内障の山を何度も何度も乗り越えてきた右目でしたが・・・
今年に入った頃には、眼圧も30台後半から40台(正常値25mmHg以下)の高値安定状態
いわゆる慢性期になり、眼圧高騰の痛みも生活するには支障がないくらいに慢性化していました。

そんな気の置けない緑内障とは別に、つくしには体質的な問題がありました。

擬似妊娠・・・
7~8ヶ月のサイクルで来ていたつくしのヒートでしたが、ヒートが訪れる度に起きてしまう擬似妊娠という摩訶不思議な症状。
その擬似妊娠の症状は、ヒート毎に長引き 最後のヒートは、擬似妊娠の症状が治まるまでに半年の時間が掛かるようになっていました。
そして、そんな擬似妊娠によるストレスが緑内障の闘病をしている右目にも徐々に悪影響を及ぼすようになってしまい
我が家では敢えて選択してこなかった避妊手術を、つくし6歳にして今年の6月に受けました。

今にして思えば、この決断が残る右目に今年大きな転機を起こした事になったのです。

全身麻酔をする避妊手術の際に、視力がない右目に「レーザー毛様体凝固術」を、受けさせてみてはどうかと担当医から提案されたのがきっかけになりました。

本来であれば、既に視力のないつくしには敢えて選択されない手術。
レーザー毛様体凝固術・・・
緑内障に於いて、目薬による対処療法で効果が持続出来なくなり、
高騰してしまう眼圧が視神経を圧迫してしまい
それにより始まる、視野狭窄で失われてしまう視力を維持する為に
眼圧を上げてしまう眼房水を産生する毛様体をレーザーで壊す対処術です。

ただ、この手術も緑内障の進行を一時的に時間を稼ぐだけの対処法にしかすぎません。
今は考えたくありませんが・・・遅かれ早かれ、つくしの右目は又少しずつ眼圧が高くなる日がやがてやってくる事でしょう。

緑内障は一度患うと、決して治る事はありません。
まずは視力が維持出来るか、視力が失くなっても目薬による眼圧の安定維持、
それが出来なくなったら・・・
まして痛みがあったら・・・

そんな中で、主治医から提案されたこの機会に眼圧の安定という一縷の望みをかけ手術に挑みました。


その結果・・・
手術から半年が経つ今月初旬の術後健診では、眼圧は正常値(25mmHg以下)を保ちつつなんとか良好な経過を辿っています。

緑内障を患い続けて3年5ヶ月・・・この半年あまり、慢性化していたとはいえおそらくあっただろう眼圧による痛みから開放され、ささやかですが何にも代え難い穏やかな時間を頂いています。

これも主治医の先生はじめ、つくしの頑張りにほかなりません。

・・・今年7月から、未だ原因が判らない眼振が時折続くようになっていますが
緑内障のような急変には及ばず、経過観察を続けていきたいと思っています。
 

今年も一年、つくしを応援して頂いた皆様には 心よりありがとうございました

来年も、細々ではありますがつくしの日常と共に闘病生活を綴っていきたいと思っています。 
 
 082_convert_20121228164609.jpg 

皆様におかれましても、寒さ厳しき折、お身体ご自愛の程良いお年をお迎え下さいませ。

来る年が、皆様にとっても笑顔いっぱいの年になりますように・・・  

来年もどうぞ宜しくお願いします。             2012.12.28

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闘病記 [その8] 

Posted by つくママ on   4 comments   0 trackback

眼圧と真っ向勝負をしても勝ち目はない!
とにかく相手の出方を探るべく
目薬を点してからの時間
病院へ出向く時間
と・・・日内変動を攻略しに掛かった私


一週間後の5月8日 市内の病院
眼圧32mmHg(正常値25mmHg以下) 少しづつ溜まる房水
今まで ほとんど病院へ行くのは午前中が多かったが
この日は午後眼圧を測りに行った。

そして又、一週間後の5月15日
この日はお昼頃に行ってみた。

眼圧73mmHg(正常値25mmHg以下)えぇ~うそ!
朝から病院に着くまで変わった様子は微塵もなかった。それなのに・・・
眼圧の変動を知る為に一週間前から通い出した矢先 またもや急変
時間はお昼、その場から東京の病院へ電話を入れる。
土曜の為、院長診は終了していた。担当の先生は変わったばかりで院長不在では無理だろうと思った。
翌日は日曜・・・市内の先生に前房穿刺をお願いするしかなかった。

市内の先生に事情を説明、処置をお願いするが つくしの暴れようでは全身麻酔を掛けてではないと・・・・と渋られた。だが、東京の病院では点眼麻酔のみであっという間に終わる処置、麻酔の危険を覚悟してまでも行うには、全身麻酔はリスクが大きかった。主人と私がしっかりと動かないようにつくしを押さえる事を約束して、点眼麻酔でやって頂く事を渋々了承して頂いた。
点眼麻酔も念には念をという事で、5分おきに2回も点眼され
口には口輪をはめられガッシリと押さえられ、先生の手に持つ針先が瞳の真ん中に触れたとたん
ボトボトと下に落ちる溜まっていた房水。
正直、穿刺したという程眼球に針を刺してはいなく、パンパンに空気が入った風船に針が触れ、パンッと風船が割れたような感じだった。先生も慌てて処置を辞めたような・・・それでも、直後の眼圧は3mmHgに下がった。

この時点で先生には失礼だが、眼科を併設しているとはいえ所詮一般診療が全般の動物病院である。たかが穿刺の処置とはいえ、目を患い穿刺の処置を必要とする患者の数は到底東京の眼科専門医とは違うのだろう、こなす数の経験は明らかに少ないのを肌で感じた。
家から近く東京までの通いを考えると、何かの時にと思っていただけにこの処置をお願いした時の手応えは「やはり東京まで行かないとつくしの目はもたない。」と思わざる得なかった出来事になった。
その処置の事だけではなく、市内の先生はとかくシャントの手術を勧めてきていた、主治医の東京の先生に相談してみるように眼圧測定に連れていくたびに言われ続けた。

市内の先生の考え方は、発症して目薬でコントロールが出来なくなった場合はシャントの手術、シャントの手術で眼圧が上がってきて視力がないなら義眼と、いたって単純な考えだ。そこには、固体の性格や経過の変動は考慮されてはいない。
治る事がないのだから、早いか遅いかの問題と言われているかのようだった。
家族と思っている飼い主と、患者としか見ていない先生との溝は大きかった。
一縷の望みにも託したい飼い主側の思いを伝えるには、溝が大きすぎる為あえて市内の先生に思いは伝えずに来ている。
あくまでも、眼圧測定と目薬の購入のみと割り切って・・・


その後・・・市内の病院で穿刺を施して貰ったのにもかかわらず、翌日つくしの目が白濁しだした。
この日は日曜、東京も市内の病院も休診 絶対絶命だった。

悩んだ挙句、東京の病院を辞められた栃木県那須のA先生に相談した。(那須の病院は診療日だった為)
まず眼圧を測ったほうがいいが日曜、とにかく目薬の回数を増やし翌日朝いちで東京へと言われた。
が・・・その日をジッとしていられるわけもなく、私はパソコンで休日に開いている眼科併設病院を探した。
「視力を守りたい!」その一心な思いで・・・
家から車で3、40分の市外で見て貰える病院を探しあて、白濁が進むつくしを乗せ向かった。

到着後 初診の手続きを済ませ、診察室へ即眼圧測定38mmHg(正常値25mmHg以下)
東京の病院でなら即穿刺処置だが
病院に事前に入れた電話では眼圧が高かった場合は処置も頼んでおいたが、主治医を聞かれ東京の「工藤」の名前を出したとたんそこの先生は処置を躊躇した。

つくしの罹りつけの東京の病院の院長は、眼科学会でも名が通る権威ある先生
眼科専門医は勿論だが、併設病院の先生でも知らない先生はいないようだった。
だが、それが仇となり主治医の指示もないのに勝手に処置など出来ないと言われ処置を断られてしまった。
せめて点滴(マンニトール)だけでもと、お願いしたが無理だった。
この市外の先生が言っている事ももっともな話だが、白濁しているつくしの目を前に どうしてくれる事も出来ない状況に肩を落とし帰宅した。
 
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市外の病院から帰宅後


明日の朝いちには東京へ行かなければ・・・

もともと命に別状がある病気ではないが、痛みに耐えるつくしの姿を 何も出来ずに見ている状況に慣れる事は出来なかった。

翌朝・・・5月17日東京の病院
眼圧測定35mmHg(正常値25mmhp以下)前房穿刺の処置、その後眼圧10mmHgに下がる
院長も唸る・・・「う~ん、これで凌ぐしかないな・・・」
院長からも再度、緑内障の進行度合いの話をされる。
視力がある間は前房穿刺で凌いでいく
視力が無くなり眼圧が落ち着かなくなったら選択は5つ

1.シャント手術。房水が流れる道をつくる。
2.薬(ゲンタシン)を眼に注入して、眼の機能を停止させる。術後、次第に眼が白くなり小さくなっていく。まれに腐ることがある。
3・義眼手術。術後、見た目の違和感はない。
4.眼球摘出。術後、眼が空洞になるので陥没し、頭がへこんだ形になる。
5.放置
何度も聞いているが、何度聞いても重い話

その後・・・引き続き市内の病院での眼圧測定の日々

5月20日・・・市内病院PM4:00
眼圧40mmHg(正常値25mmHg以下)高い、やはりもうダメなのかと肩が落ちた。
帰宅後、キサラタンとトルソプトを4~6時間おきに集中点眼を施した。

5月22日・・・市内病院PM12:00
眼圧22~20mmHg(正常眼圧25mmHg以下)前日の集中点眼が効いたのか、下がってきていた。
日内変動なのか、目薬の効果なのか掴みどころのない眼圧

5月27日・・・市内病院PM4:00 点眼1時間半後
眼圧35mmHg(正常値25mmHg以下)子供が出した熱のように、夕方になると上がり始めるのか?

5月29日・・・市内病院AM11:30 点眼30分後
眼圧25mmHg(正常値25mmHg以下)点眼直後は効くのか?

6月1日・・・市内病院AM11:45 点眼5時間半後
眼圧22・24・25mmHg(正常値25mmHg以下)目薬の持続時間が長くなってる?

6月5日・・・市内病院PM3:00 点眼8時間後
眼圧24mmHg(正常値25mmHg以下)持続時間の延長

6月12日・・・市内病院AM11:00 
眼圧25・28mmHg(正常値25mmHP以下)落ち着いている

6月19日・・・市内病院AM11:30 点眼4時間後
眼圧23・24mmHg(正常値25mmHg以下)3週間20台をキープか?

6月26日・・・市内病院PM3:25 点眼直前
眼圧36・44mmHg(正常値25mmHg以下)高い、集中点眼と回数を増やす

6月29日・・・市内病院PM7:00 点眼4時間後
眼圧29・25mmHg(正常値25mmHg以下)集中点眼が効いてくれたのか?

7月3日・・・市内病院AM11:30 点眼4時間後
眼圧28・25mmHg(正常値25mmHg以下)落ち着いたかな?

7月10日・・・市内病院PM3:00 
眼圧34・35mmHg(正常値25mmHg以下)30台、視神経が心配

7月15日・・・市内病院PM12:00 点眼5時間後
眼圧35・37mmHg(正常値25mmHg以下)点眼回数を増やしても高いまま

7月20日・・・市内病院PM12:00 点眼1時間後
眼圧36mmHg(正常値25mmHg以下)点眼が効かなくなったのか?


この2ヶ月・・・日内変動を知る為に眼圧測定に通い詰めたが、病院の診察時間は限られていて
点眼どの位薬が効いているのか?
どの時間帯になると高めになるのか?
分かるような、分からないような・・・

つくしの感情なんかお構いなしに、心を鬼にしてまで嫌がるつくしを「あなたの為だから・・・」と言いながら、病院漬けにした結果がこんなもの
掴めない何かに釈然としない気持ち、頭も心も病んだ

つくしの様子は・・・痛みが酷くある感じはなかったが、この眼圧の痛み 聞くところによると慣れてくるらしい。痛いのに慣れてしまう なんて悲しい事だろう。
30台の眼圧がしばらく続き、視神経のダメージも気になり
2ヶ月あまりのデータを持って、東京の病院に予約を入れた。

7月23日・・・約2ヶ月ぶりの東京の病院
眼圧測定5~6回、27~31mmHg(正常値25mmHg以下)

この2ヶ月の眼圧の推移とつくしの様子を院長に話した。
まずつくしの場合・・・病院恐怖症の為、大暴れによる興奮の為 病院では確実に眼圧が高くなる
院長はそれらを考慮して、おそらく家で落ち着いている時は 病院の眼圧測定数値よりは若干低めと思っていいと言われた。そして、見えていて炎症が起きていなければ大丈夫と。
更にその後院長は・・・「細く長く見守るしかないよ!だって治らないんだもん!!」と・・・
そしてなんと、院長自身の愛犬も 柴犬で緑内障だと話してくれた。
片目はつくしと一緒、そして残る目も発症していて時々この病院に連れてきていると。
そして驚いた事に「うちのなんか(院長の愛犬)目薬も適当に点して、ほっといてるよ!」なんて・・・
それでも発症してかれこれ7~8年経っていると話てくれた。

病院の院長が、それも眼科学会では有名な[工藤荘六]が・・・
青天の霹靂とはまさにこのような事なのか?

この話を聞いた後、今まで私に取り憑いていたものがストンと堕ちたような気がした。
神経質になり過ぎたあまり、嫌がるつくしに「あなたの為」といいながら病院へ通い続ける事
それはただ・・・つくしの目が見えなくなってしまったら?という事が、現実に受け入れられない飼い主のエゴだったのではないか?
確かにつくしの病院での暴れようは、治療の意味が分からないつくしにとっては虐待に近いものであったはず

院長の話に、目が醒めた思いがした。
なるようにしかならない。その時はその時・・・

それからの私は・・・眼圧測定に通う事も辞め、いままでつくしに与えてきたストレスを取り除いていけるよう
なるべく神経質にならず、穏やかに日々を過ごせるよう心掛ける毎日
不思議とそんな気持ちがつくしに通じたのか、いままでに感じてきた様子の異変もなく
それからふた月ほど病院から離れた生活を送った。


だが・・・そんな穏やかな生活もずっとは続いてくれなかった。
10月4日、夕方からつくしの目がしょぼつき出した。ついに又来たか!見えない敵

翌日、朝いちで東京の病院へ走る
眼圧測定22・24・28mmHg(正常値25mmHg以下)眼圧は高くないが、ぶどう膜の炎症が酷い
ステロイド注射の処置
眼圧が高くなかった事はよかったが、ぶどう膜の炎症が続くと眼圧が上がってくるのが怖かった。
院長はつくしの性格を考慮して、あえて検診は決めずに担当の先生と電話での経過報告にしてくれた。

つくしは早めのステロイド注射が効いたのか、眼圧が高いような様子もなく間もなく落ち着いた。

そして又、それ以降病院へ足を運ぶ事なく過ごしていたつくしに訪れた左目失明の急変
忘れもしない2010年10月28日

これ以降の経過は、カテゴリの[緑内障]に綴ってあります。



ポツリ、ポツリと綴ってきた[闘病記]・・記録&感じた思いは、これで最後になります。
いつ終わるか分からない闘病ですが、これからも穏やかな日々が一日でも長く続く事を願って止みません。   終わり



当時のつくしの写真を[闘病記]その3・4・5・6にアップしました。

闘病記[その7]

Posted by つくママ on   4 comments   0 trackback

右目発症からひと月が経ち
落ち着いた かと思ったのも束の間
またも、高眼圧の大砲はつくしの目をめがけ放たれた


3月25日・・・検診終了から一週間後の事

朝・・・洗濯を干しに2階のベランダに出た私
後を追うようにつくしが上がって来た
近づいて来るつくし んっ? 瞬きをしきりにしている
えっ 痛いの?

やっと落ち着いたのに、又も急変
すぐ東京の病院に電話を入れる
が、この日は木曜日 院長は学会で不在
担当の先生からは、目薬の指示と市内の病院で眼圧を測ることを指示された。

とにかく病院へ・・・
眼圧80mmHg(正常値25mmHg以下)高すぎる
とにかく眼圧を下げないと せっかく戻った視力
市内の病院の先生からは、右目は眼圧が上がると高すぎるほどの数値になる為
眼球内に穴を開け 新たな房水流出路を作るシャントの手術を勧められた。

このシャントという手術、詰まって溜まる房水が流れるように道を造るのだが、永久的にはもたない。その道もやがては詰まる、早くて2~3ヶ月、長くて1~2年といわれ 個体によってまちまちらしいが、所詮一時凌ぎ。
シャントの手術はしない!そう決めていた。
なぜなら・・・左目術後のつくしのメンタルに散々心を痛めた為、右目にも又メスを入れなければならないのであれば、それはもう残された右目に視力が無くなり、眼圧がコントロール出来なくなった時
そう 残された右目にメスを入れるのは、最後のあと1回と家族で決めていたから。

家に戻り、東京の病院へ再度電話を入れた。
眼圧を報告して、再度目薬の指示を貰った。
院長が居ないので検査などは出来ないが、担当の先生が処置をしてくれるというので
午前診にはすでに間に合わないが、午後診3時からの診療時間に入れるよう東京に向かった。

着いてすぐ 眼圧測定81mmHg(正常値25mmHg以下)・炎症強
即 前房穿刺の処置 眼圧7mmHgに下がる 更にステロイドの注射

朝 つくしの異変に気がついてから約6時間高眼圧の状態が続いていた事になるが、幸いにも 前回のように視力を一時的にも失う事はなかった。

2日後に診せるよう言われ帰宅

翌日もつくしは痛そうに目を少ししか開けていなかった。
視力を守りたい!」その思いが眼圧の数値を気にして止まなかった。
又も市内の病院へ走る
眼圧は17~18mmHg(正常値25mmHg以下)眼圧は上がってはいなかった。

その頃の私は、薬でコントロールするのが難しくなっているのではないか?と
不安な気持ちでいた。
そんな矢先 やはり同じ緑内障で闘っていた「湘南発☆韓流生活」 のアークくんが、すでにキサラタン( 緑内障・高眼圧剤治療薬)が効かなくなり、タブロス(緑内障・高眼圧剤治療薬)を使っていた。
眼圧が下がるスピードは異なるが、まだつくしの目にキサラタンが効いているうちに知識だけは欲しかった。
キサラタンが効かなくなった時の準備としても

思い立ったが吉日
早速・・・連絡を取らせて貰った。


近年 眼科医に於いて、緑内障の眼圧治療剤は「キサラタン」が第一人者として君臨している世界
あーくくんがタブロスを使うにあたっては、主治医の先生からの許可はなく、あーくくんの飼い主自ら病院を通して薬を取り寄せている事、そうする事で主治医の先生からは自己責任で使う事を約束させられた事など  タプロスを使うにあたっては困難がありそうだった。
だが、飼い主として愛犬に一縷の望みでもあるなら・・・という思いは我が家とて一緒
あーくくんの飼い主さんが、そこまでしても可能性を信じた思いに心打たれた。
それと共に、医者と飼い主の気持ちの温度差などもとても感じた。

そんな話を踏まえると、東京の主治医の先生には聞く事も許されそうにない。
急変した時に東京で見て貰えなくなったら という不安
診て貰っているという患者側の 発言出来ない立場にイラついた。 

翌日 3月27日 
急変から2日後、東京の病院での検診
眼圧15mmHg(正常値25mmHg以下) 落ち着いていた。
検診は一週間後

この頃の私は「時間」「眼圧」「視力」というキーワードが常に頭の中を支配していた為か、病院が休診日の週末や連休が来るのが怖かった。平日ならなんとか動ける、だが休日につくしの様子がおかしくなると 休日が明けるまで痛がるつくしを診て、何も手に付かなくなり心が折れそうになる自分がいたからだ。

翌28日の日曜も つくしの様子を見ていて疑心暗鬼になり、自己判断で薬の回数を多くした。
翌々日の29日には、前日の事も気になり 市内の病院へつくしを連れて行き眼圧を測る 17mmHg(正常値25mmHg)
眼圧は上がってない事に安堵する私
そしてこの時、気になっているタブロスについて、市内の先生に聞いてみたが 案の定、眼科学会でも緑内障の高眼圧に於ける薬はキサラタンの右に出るものはないとバッサリと言われた。
この市内の病院でつくしが使っているほとんどの目薬を購入させて貰っている事もあり、あわよくば取り寄せて貰えるかと思ったが目論みに終わった。

この病気と闘う為の儚い期待が消えた。
そんな事もあり更に私は、眼圧の恐怖に取り憑かれたように、病院へ眼圧測定に通う日々
つくしは「車に乗せられるイコール病院」という定義が出来てしまっているかのように、車に乗せるとガタガタと震えるようになっていた。
無理もない、右目を発症してから興奮をさせないように外出は極力避けていた為、車で行くのは病院だけになっていたから・・・
そんなつくしを見て私は「ごめんね!あなたの為だから ・・・」と言いながら、自分にも「つくしの為なんだ!」と言い聞かせていた。


4月5日 東京の病院で検診
眼圧19mmHg(正常値25mmHg以下) 再度安堵する私
次回検診は3週間後 その間10日前後に市内の病院で眼圧を測定するように支持される

4月17日 市内の病院で眼圧測定
眼圧23~26mmHg(正常値25mmHg以下)ギリギリ保っていた。

4月26日 急変からひと月後 東京の病院での検診
眼圧28mmHg(正常値25mmHg以下)院長からは高値安定との評価
眼圧は、日内変動もある事・測る状況によっても2~3mmHg程の変動もある事などから
なるべくなら30mmHgまでは処置をしないで、経過を見ようと言われた。
これからは、一週間に一度の眼圧測定を 市内の病院で測る事も勧められた。

そしてこの日には、思いもよらない残念な知らせがあった。

つくしがぶどう膜炎になった初めから、処置や時には電話で不安な気持ちを聞いて指示を出してくれていた 担当のA先生が、4月いっぱいをもって東京の病院を辞められる事だった。
A先生のご実家は栃木県の那須で大きな動物病院をしていて、東京の眼科専門医で修行を積まれ ご実家に戻られ眼科担当として働かれるという事だった。
診察を終え、外で会計を待つ処へわざわざ来て伝えて下さった。
つくしにも・・・「どうかこのまま落ち着いている状態が続くといいですね!」と願って下さり、
「那須に遊びに来た時は是非病院に寄って下さい。眼圧くらい測りますよ!」と言われ、先生のご活躍を願い、お別れをした。
前月にも、左目の手術を執刀して頂いたF先生が辞められていた矢先の事だった。

つくしの経過を知っている担当の先生が居なくなる事は、とても大きな不安だった。
すでにこの日は、次の担当になるT先生がつくしの処置をした。
まだ処置にも慣れない為か、針を持つ手がぎこちなくT先生の緊張までもこちらに伝わってきた。


先の見えない病気との闘い、担当の先生とのお別れ 不安な気持ちは益々知識を得る事への執着や、眼圧の日内変動を調べる事への執着へと走っていく。

つづく
          



闘病記[その6]

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つくしの術後の回復は順調な経過を辿っていた。

後はメンタル・・・こちらは少しづつだがつくしのペースでゆっくりと、いつもの生活に戻りつつあった。



それは不意打ちを突かれたかのように
術後 ひと月半の検診を控えた10日程前
左目の手術から37日目の出来事だった。


その日 私の手帳にはこんなふうに記してある。
2月24日・・・[つくし右目発症 ついに来た!・・・だけど早いよ。やっと左目が落ち着いてきたところなのに・・・残酷]



思い返せば・・・深夜、つくしが珍しく私のベットに上がって 顔の辺りでモゾモゾ奇怪な行動をとっていた。
いつもなら自分の寝床から移動するのは、主人のベットのはずなのに
私は眠気に勝てず 布団を頭から被り つくしを無碍にした。

朝になり・・・私の後から主人に抱かれ リビングに連れてこられたつくしを見て驚愕した。

主人・・・「ママのベットに上がって動こうとしないから、連れてきたよ。」と、フローリングにつくしを降ろした。
何か 格好が変だった。固まっているような・・・
何秒かしてヨタヨタとソファに上がった。その瞬間
そこで初めて嫌な予感がした、ソファにいるつくしの目を見た!

右目を閉じていた。
左目は義眼、右目も痛くて開かず その時のつくしは見る事が出来ていなかったはずだ。
気が動転した。怖くて、悲しくて身体がガタガタ震えたのを忘れない。


そこで・・深夜、私のベットでモゾモゾしていた訳に気が付いた。
そうだったのか、私のベットに来たのは教えていたんだ!
「ママ、お目目が痛いよ~」と・・・

その時気が付いてやれなかった自分が情けなかった。自分で自分を罵倒した。
「ごめん、つくし。教えてくれていたのに、ママ気が付かなくて。」


いつかは必ず・・と覚悟はあったが、まさかこんなに早くに右目に発症するなんて正直思っていなかった。
左目の術後の回復に気を取られていてというか、不覚だった。



[緑内障]・・・発症したら治る事のない病気

なんて残酷な病気、神様なんてこの世になんていないと思った。
完全に奈落の底に突き落とされた感じだった。

ワナワナしながらも、主人の朝の支度と病院へ行く準備を始めた。
そして大学が休みになっている娘を叩き起こし、病院へと向かった。


到着して間もなく2階での院長診・・・眼圧78mmHg(正常値25mmHg以下)とんでもない数値に愕然とする私と娘
「来たね~」が院長の言葉だった。高眼圧時での視神経の確認検査は難しい。
診断は、朝の様子と診察室の床を覚束ない足取りで歩くつくしの状態からして 見えていないと言われた。
心の準備もないままに、全盲になったつくしを受け入れる事は容易い事ではなかった。


2週間前 左目の術後検診の際、右目の眼圧も測ったが15mmHgと なんの兆候もなかった右目
・・・何の前触れもなく いきなり来るこの緑内障というこの病気に、遣る瀬無さをぶつけられない事がものすごく悔しかった。


誓ったのに・・・右目だけは、せめてこのひとつだけは守ってあげるって・・・
自分の力では どうにも出来ないこの病気との闘いに理不尽さが募った。無力さだけが残った。

つくしが何をしたの?
なんでこんなにつくしを苦しめるの?

あまりに残酷すぎて、やり場のない気持ちに私の中の世界が止まった気がした。


つくしは眼圧を下げる為に前房穿刺(前眼房の中の房水を針で穴を開け、一時的に外へ出す)の処置を受け眼圧5mmHgまで下がった。
左目の急変の時がフラッシュ・バックした。
眼圧の高さは左目の時よりずっと高い。思うだけで怖かった。
なにひとついい事が思えない状況・・・そんな時は 考え方までも悪い方、悪い方へと進む。底なし沼にはまったように・・・
 
2010022411280000-1.jpg 処置後
目の神様「新井薬師」にて・・・



つくしは 5日後に診せるように言われ、飲み薬(抗生物質)を処方され帰宅した。

翌日になってもメンタルの弱いつくしは、目も開けなければカドラーからも動かない。
又、眼圧が上がってしまったのか?
心配で怖くて 翌日、市内の眼科併設病院へ連れて行き眼圧を測って貰った。
眼圧は9mmHgだった。痛みはないはず、今にして思えば両目が見えなくなり動く事が出来なかったのだろう。

その後得た事だが、前房穿刺の処置をして翌日に眼圧が急に高くなる事は稀にない。
なぜならひとケタまで下がった眼圧が 正常値を上回るのには3・4日はかかるそうだ。
(目を循環している房水が隅角から抜け切らず 少しづつ少しづつ目の中に残る)
だがこの時はまだそんな仕組みまで知り得ていなかった。

東京で処置をした翌日に市内の病院での眼圧測定、私が取ったこの行動には実は大きな訳があった。


それは・・・今は無き左目に対する懺悔だった。
手術当日 眼圧が正常値内だった事
急変してから手術を迎えるまでの間に 眼圧の変動をもっと知っておくべきだったと後悔していた。

目が開かない事にしても、痛み(眼圧)では無くつくしのメンタルの弱さからの要因もあると分かった事などから
右目だけは・・・発症した今 最終的には義眼になっても決して後悔はしたくなかった。
どんな事があっても、自分を犠牲にしても左目への償いも兼ねて 全身全霊で右目の緑内障と闘う事を決めていたから・・・


そして右目発症から3日後
真っ暗な世界の中で つくし4歳のお誕生日を迎えた。
まだまだ4歳、活発な年頃だろう これからなのに・・・バースディーケーキに灯されたローソクの光も見えない
「つくし、お誕生日おめでとう♪」と家族みんなでお祝いをした。
だが、家族の誰もが 今までとは違うつくしの誕生日に物悲しさを覚えていた。

もし神様からつくしにプレゼントが頂けるのであれば・・・「つくしの目に光を!」 と願わずにはいられなかった。



3月1日・・・検診 眼圧22mmHg(正常値25mmHg以下)眼圧は落ち着いていた。
だが見えてはいない。
眼球内の映像を取り、その写真を見ながら説明を受けた。
高眼圧になった事で、やはり視神経が圧迫を受けたようだった。一部が途中繋がっていないような視神経が映し出されていた。
院長も視力が戻るかどうかは微妙だと言った。とにかくもうしばらく飲み薬を続ける事になった。

この飲み薬・・・副作用があり、食の細いつくしが異様な食欲になり体重増加が著しかった。
術後に落ちた体重を一気に戻す勢いで、太る事も少し気になった。
だが その時は、副作用のリスクより視力が戻る事に一縷の望みを託すしかなかった。

次回は一週間後の検診


右目発症から一週間が過ぎた頃・・・つくしもようやく自分の置かれている状況を受け入れ出し、カドラーからも少しづつ出て ゆっくりとあちこちにぶつかりながらも家の中を動き出した。
この時のつくしを見て 動物って逞しい生き物だなと感動した事を忘れない。
自分だったらどうだろうと思った
たった一週間という短い時間の中で、今の自分を受け入れるという事
自分だったら、もっともっと膨大な時間がいる事だろうと思った。

私がクヨクヨ・メソメソしていたらいけない!
つくしは弱くない。自分で前に進んでいこうとしている

この時心に決めた。顔を上げ 前を見て歩こうと
そんな事までつくしに教わった。


そして・・・見えない生活になって10日を過ぎた頃
散歩に出て、「あれ?」と思う事 「見えてる?」と思う事に首を傾げた。
クルーチングを回避出来たり、水溜りを避けたりと だが半神半疑だった。家の中では、柱の角にゴチンとぶつかる事も今だにあったりもしていたから


3月8日・・・2度目の検診
眼圧19mmHg(正常値25mmHg以下)落ち着いていた。
ここで少し安心できると感じた。
院長に「どう?」と聞かれ「なんとなく見えているような感じもします。」と答えた。
院長はつくしの目にライトを当て、右へ左へと振った。
「うん!見えてるね。光を追ってる。」と言った。
視力が戻って来ていた。又 つくしの目に私達家族が映る。
右目発症から13日目だった。
見えていなかった期間はおそらく10日前後だったのだろう。

胸がいっぱいになるくらい、温かいものが込み上げた。
心に火が灯ったように・・・

次回は10日後の検診

徐々に つくしはいつもの生活に戻っていった。視力は 視野狭窄はあるがほとんど生活に支障は無かった。
又、いつもの穏やかな生活が送れていることが嬉しかった。


3月17日・・・3度目の検診
眼圧21~16mmHg(正常値25mmHg以下)落ち着いていた。
視力も戻り、眼圧も3週間近く安定していた 
ここで院長から検診終了のOKが出された。


この急変を乗り越え 日々生活するつくしに、今まで以上の愛しさを感じる自分がいた。
こうして4週間に亘る経過を経て
いつもの日常を送り始めるのだが・・・


そう容易く穏やかな安定した時間を与えてくれるほど、[緑内障]は甘くなかった。
それから間もなく、[緑内障]は残されたつくしの右目を もて遊ぶかのように高眼圧を大砲のように撃ち放すのである。

そして私は、眼圧の呪縛に取り憑かれたように
一週間に2度・3度と市内の病院へ眼圧測定へと、暴れて嫌がるつくしを連れて行く事になるのである。

嫌がるつくしに・・・「あなたの為だから」と言いながら・・・   つづく






闘病記[その5]

Posted by つくママ on   2 comments   0 trackback

1月19日・・・退院
つくしにとってはうちの子になってからの、初めて家族と離れてのお泊りだった。

退院して家に戻るなり家の中を巡回した。番犬としてのお仕事が一日出来ていなかったのがとても気になっていたのでしょう。家に居るときは痛くても来客を教える、怪しい物音がする時は吠えるなどの番犬のお仕事だけはキチッとやっていました。
もちろん家族が帰宅した時は、痛くても玄関までの出迎えも欠かしませんでしたから・・・

しばらく各部屋のチェックを念入りにしてから、ソファーの上に乗ろうとしたが、エリカラが引っかかり一度で上がれず介助してあげた。

2010011918340000.jpg 退院後


とても疲れたのだろう、おそらく昨晩は慣れていない所で寝る事もままならなかったのだろう。まだ術後の痛みはあっただろうが、自分の一番安心する場所に帰ってこれた安心感で寝始めた。
寝顔を見ながら、「頑張ったね!偉いよ!」と労った。

そして・・・つくしに誓った。
あまりに突然急変した左目に、足りなかった知識・心構え。守ってあげれなかった自責の念が私をずっと打ちのめしていた。
「残された右目だけは守るよ!」と


検診は一週間後
 
2010012012350000.jpg 術後2日目

術後は血が混じった目やにらしきものが目の周りに付き、それをほおっておくと目がまだ開かない為固まってしまうので拭いてあげようとするが、触られると痛いのか嫌がった。それでも合間をみてコットンをお湯で濡らし少しづつ拭いてあげた。
よく見ると目の周りは手術を受ける為に衛生上毛が剃られていた。先生から眼球は白目の上の辺りからシリコンを挿入したところだけを溶ける糸で縫ってあると言われていたが、外からは見えないのでわからない。その部分を触らないようにそっと、丁寧に拭くのはとても怖かった。

つくしは退院した翌日もその翌日も、一日ただ、ただ寝ていた。いや寝ているというより、じっとしていて動かない。じっとしながら震えている事もあった。無理もない、手術自体は難しい手術ではないと聞いていたが、仮にも眼球にメスを入れ中身を取っているのだから・・・しばらくは痛いはずだと思っていた。
それでも術後4日経っても自ら動こうとする気配もなく、食事もほとんど食べない、おしっこをさせるた為には抱っこをして外へ連れていくしかなかった。お散歩なんて出来る状態では全くなかった。


眼圧による痛みが無くなった今、日に日に元気になるものと思っていたが、つくしはそんな感じではなかった。


あまりにも心配になり術後4日目に病院に電話を入れた。
先生は・・・「大きな手術だったので、まだ術後の痛みが続いているのでしょう。」と言った。
黄色や緑色の目やにが出るようなら感染による炎症の疑いもあるが、そうでないなら日に日に回復するはずと・・・


そんなつくしの姿を見ていると、手術を受けさせた事すら後悔する自分がいた。
ましてや手術当日の眼圧が下がっていた事が、心の中で大きくなり、つくしが私に「なんであたしのお目目採っちゃったの?」「痛いよ、ママ!」と責められている感じにさえ思えた。
動かないつくしに、「ごめんね。お目目採っちゃって、ごめんね。」と心から謝る術しかなかった。


居ても経っても居られず、すでに義眼手術を受けているミッチーちゃんのママに連絡を取らせて貰い、ミッチーちゃんの術後の経過を聞かせて貰ったが・・・やはりつくしの回復は遅すぎるようだった。


何かつくしの目に異常事態が起きているのか?
それとも・・・手術が失敗だったのか?私は完全に疑心暗鬼に陥った。


そして手術から一週間後の術後検診

目はまだ開かない。経過が悪いのではないかと不安を募らせていたが、以外にも経過はいたって良好だった。
その時、術後初めてつくしの目を見せてもらった。真っ赤な目がつくしの痛みを表しているように感じたのを覚えている。
目が赤いのは義眼内に血液が回って浸透する為むしろ経過がいい証拠と言われ、感染による炎症も起きてはいなかった。

ではなぜ?こんなにも元気がなく、動こうとしないのか?一週間が過ぎてもまだ目は開かない。
先生も「ほとんどの子は2・3日もすれば普通の生活に戻るはずだし、食事等は滅多に食べなくなるまでにはならないものだけど・・・」と、首を傾げた。


そうなるとメンタルの問題なのか?
先生も「つくしちゃんはとても繊細なんだと思いますよ。」と、言っていた。
そういえば・・・
一晩の入院だったが、持参したフードは食べず、排泄の為のお散歩でもお仕事はしなかったそうです。
つくしの精神的ダメージは相当なものだったのを改めて感じた。

なにはともあれ経過に異常がなかった事は、大きな安心だった。山をひとつ越えたのを感じた瞬間でもあった。

次回の検診は2週間後


毎日毎日つくしの様子と向き合い、一日でも早く目が開いてくれるのを願い続けた。日に日に、食事も少しづつ取るようにもなり、お散歩も家の回りくらいは歩くようになっていった。少しづつ、少しづつだが普段の生活に戻っていくつくしに逞しく生きる力を感じた日々だった。

ようやく目が開き始めたのは、すでに術後2週間を過ぎた頃だった。
ほんとに少しづつ、怖々と開けようとしては又ギュッと閉じてしまう。そんな日々を繰り返しながら迎えた、術後3週間後の検診

経過は超順調と太鼓判を押されるほどだった。エリカラもようやく外れ、さっぱりした。・・・シリコン挿入口の白目の部分を縫った糸もすでに溶けて無くなっていた。にもかかわらず、目がぱちっと開かない訳はやはり精神的なものとしか思えないと先生に言われた。 

2010020919200000.jpg 術後3週間
ほんの少し目が開くようになる
 


まあここまでくれば・・・成長の度合いがそれぞれあるように、メンタルを受ける度合いもそれぞれと思うしかなかった。
又々先生からは、「つくしちゃんはすごく感受性が強い子なんですよ!」と言われ、飼い主としてはとても複雑な思いだったのを覚えている。


次回の検診は4週間後


やがてくるこの術後ひと月半の検診が、義眼手術を受けた左目の最後の検診になるはずだった。
が・・・その日を待たずして、つくしに更なる悲劇が襲いかかるのである。


やっと元気を取り戻し、痛みのない穏やかな日々が戻ってきた矢先の出来事だった。        つづく






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